(画像引用元: http://blogs.yahoo.co.jp/noriyasu8732/62595541.html)
20歳台の社員と話していて「昔のカラオケは8トラ(ハチトラ)だった」と懐かしい話をしたところ何それとなって、今じゃ本人映像やライブ映像が当たり前で、日々歌いやすく進化するカラオケの歴史からトーマの初期を少し振り返ってみたいと思います。
40年前ハワイに最初に登場したカラオケは8トラでした。このToma Enterprisesが日本から取り寄せて当時の日系バーにおろしたのが最初です。 そうです。トーマがアメリカに最初にカラオケを持ってきた会社です!そうです。トーマがアメリカに最初にカラオケを持ってきた会社です。当時はバーで歌うことはほとんどなくなじみの薄かったカラオケも日系人や、沖縄の移民の方が積極的に歌いだし、歌好きの日本人がハマっていきました。当時の人気曲でおぼているのが「ここに幸あり」です。当時はハワイの歌だと思っていましたが日本の曲でした。歌詞が当時のハワイの人たちの心情にマッチしたのでしょうか、いつもバーで熱唱されていました。8トラは約6年くらいバーではやっていました。
1つのカセットに4曲入りで映像はもちろん無し。映像が出ないので歌詞も出ません。次にかかる曲の歌詞を譜面台にセットしてからリクエストされた曲を選び出し再生ボタンでスタートするという、今では考えられないアナログな代物でしたがハワイでは受け入れられたようです。
" 8トラック (8トラック ・カートリッジテープ ), は、カートリッジ式の 磁気テープ再生装置および媒体の一種を指す名称である。2トラックのステレオチャンネルが4つあり、合計8トラックの信号が録音されていたため、この名前がある。日本では略して俗に「8トラ」(ハチトラ)とも呼ばれた。” Wikipedia
当時は1曲1ドルだったかな? 当時のトーマはカピオラニの柳寿司の向かいにあり、カラオケの展示と在庫がありました。こそこそ夜中にうちのと行って歌っていたのを思い出します。その頃は、車載用の8トラもありました。(懐かしい)
(画像引用元: https://minkara.carview.co.jp/userid/309472/car/211922/1432651/parts.aspx)
当時学生だった私は何と大学のスピーチクラスの発表でカラオケの説明を行いました。ポータブルタイプのカラオケを持ちSimon & GarfunkelのBridge over Troubled Waterをカラオケの説明の後にサンプルで歌いました。少しはトーマの売り上げに貢献したかもしれません。当時セールスをしていたケンさんとノリさんの努力がハワイのカラオケの歴史の最初の1ページを築きました。感謝です。